高峰秀子について

「デコちゃん」の愛称で親しまれ、絶大な人気を誇った高峰秀子は、成瀬巳喜男や木下恵介、小津安二郎や稲垣浩など、映画の黄金時代の巨匠たちによる映画に数多く出演した。

ウィキペディアによると、映画デビューはわずか五歳。きっかけは、松竹で俳優をしていた知り合いに、養父とともに蒲田撮影所へ見学に連れていってもらった時である。たまたまその日は野村芳亭監督の映画「母」の子役オーディションの日で、高峰秀子は養父に促されるままオーディションに飛び入り参加した。そして奇しくも選ばれてしまい、メインの女優の幼い娘役で出演する運びとなった。女優は宿命だと言いたくなるようなドラマチックな滑り出しである。

その後も天才子役として活躍し、一流の女優へと成長していく。戦前、戦時中、戦後を通じその人気は翳ることを知らず、デビュー作「母」(1929)から最後の主演作、木下恵介監督の「衝動殺人 息子よ」(1979)までの半世紀にわたり、毎年のように映画に出演し、昭和の女性像を様々な役柄を通して体現してみせた、まさに日本の宝と言える女優だ。

ウィキペディアに「まさに百変化とも言うべき多様な役を、その役の性根をつかんで演じきった日本映画史上、稀有の名女優であった。」とあるが、高峰秀子の多くの出演作品の中でも抜群に「百変化」だと私が感じたのは、成瀬巳喜男監督の「放浪記」(1962)における林芙美子の役である。何しろ、オーラがすっかり消え失せ、本当に高峰秀子なのかと疑いたくなるほどの「不美人」なのである。いや、林芙美子が気の毒になるほどであった。性格も暗く、家族運も金運も男運も悪いという不遇な人物像で、高峰秀子の投げやりでふてぶてしいような、うらめしいような口調がぴったりと合う。林芙美子が人生の伴侶と出会い、作家として大成するまでの流転の半生を描いた映画である。故森光子が1961年から2009年まで主役を演じ続けたロングランの舞台としても有名である。

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