「殺しの烙印」について

半世紀経っても未だ、難解・理解不能・奇想天外と言われ続ける鈴木清順監督の「殺しの烙印」(1967)は、今や世界レベルのカルトムービーとして熱狂的なファンを持つ。しかし当時の日活の社長には大変な不興を買ってしまったようで、「一本撮るのに六千万円もかかるのに、訳のわからない映画ばかり作られては困る!」とブチ切れられ、本作が原因で鈴木清順監督は日活をクビになってしまった、というのは大変有名なエピソードである。

しかし実際は、目玉商品である太地喜和子主演の「花喰う蟲」の併映作品として、副次的に企画されたもので、一説には「アクションとヌードがあれば、何でもいい」と言われて撮ったといわれている。それが事実なら、清順監督は不当解雇ではないか。

そんな処分に対し、熱狂的なファンや映画界の支持者たちは「共闘会議」なるものを結成し、デモまで起こして日活に猛反発。後に、監督側と日活は法廷の場で和解をしているが、予想以上に問題が大きくなってしまったことで、危険分子的なイメージが定着し、どの映画会社も清順監督を敬遠するようになってしまった。再び日活でメガホンを撮るまで、清順監督は十年間もブランクを喫するのである。

しかし、こんなバックストーリーがあるからこそ、本作のカルト映画としてのバリューはますます高騰する。もちろん海外ファンの間でもその話は有名で、「監督が会社をクビになるほどのヤバい映画」として認知され、愛されている。レビューサイトなどでは圧倒的に評価が高いが、清順ファンがこぞってコメントしているだけの可能性が高いので、あまり当てにならない。

脚本は「具流八郎(ぐるはちろう)」となっているが、これは個人名ではなく、「グループ8」という意味で、日活の助監督第8期生六名・脚本家一名・清順監督の計八名の共同執筆ペンネームなのだそうだ。「殺しの烙印」の脚本は三部に分かれており、前半は大和屋竺(本作で「殺し屋ブルース」を歌い、殺し屋ランキングナンバー4のコウ役を演じている)、中盤は田中陽造(清順監督の「大正ロマン三部作」の脚本家)、後半は曽根中生(日活ロマンポルノ監督)がリーダーシップを取って書いており、確かに、前半はハードボイルド、中盤はフィルム・ノワール、後半はブラック・コメディと、どんどんテイストが移り変わっていく。そういったジャンルの変遷も、この作品の掴み所のなさの理由の一つかも知れない。

しかし、私はこの作品は、実はものすごく簡単なストーリーなのだと考えている。冒頭で、元凄腕の殺し屋(春日)が酒に溺れて自滅する様子が描かれるが、その伏線を回収するように、主人公も(女と酒に溺れて)全く同じ運命を辿っていく、という話である。殺し屋稼業の悲しい宿命、すなわち拭えない「烙印」なのである。

ただ、映像のインパクトが強すぎて、また観念的な(意味深な)ビジュアルに気を取られて、まったくストーリーに没頭できないのだ。トランプなどの手品と同じ理論で、目先のパフォーマンスに脳がだまされてしまうのだと思う。そんな効果を清順監督は狙ったのではなく、偶然の産物として作ってしまったのではないだろうか。追うほどのストーリーでもなく、あるようでないような物語だからこそ、余計に訳がわからなくなるのだと考える。

北野武監督の「ソナチネ」(1994)が似た例ではないだろうか。難解すぎて、映画館での興行は一週間で打ち切られてしまったというが、実際は、親分に裏切られたヤクザが、潜伏先の沖縄の海で子供のように遊びまわり、裏切った親分に復讐してから死ぬ、という簡単な話である。しかし、話の筋より、美しい映像と音楽に気が取られてしまうのである。私にとっては、「GHOST IN THE SHELL 攻殻機動隊」(1995)、「戦場のメリークリスマス」(1983)、「狂い咲きサンダーロード」(1980)、「夢二」(1991)、「46億年の恋」(2006)も同様に、初見では視覚的に圧倒されて、いまいち話が入ってこなかった記憶がある。

しかし、同じようにヴィジュアルにノックアウトされがちな映像作品でも、「パプリカ」(2006)、「双生児 -GEMINI-」(1999)、「薔薇の葬列」(1969)などはストーリー展開についていけない、ということは全くない。その境界線は、編集なのか、ストーリー展開なのか。

本作は一般的にアバンギャルドと言われているが、コンセプチュアル・アートに近いのではないかと思う。例えば、美沙子のアパートの壁が一面蝶に覆われていたり、美沙子を抱こうとする花田の両手に蝶の死骸がつぶれていたり、常に蝶が介入してくるシーンを観念的に解釈すると、花田は美沙子を抱きたいのだが、先ほどの致命的な誤殺・失敗(蝶はメタファー)が脳裏を離れず、敗北感・焦燥感・恐怖がちらついて気が削がれてしまう、といったところではないだろうか。

また殺し屋ランキングというのも、そのまま考えるとまぁ馬鹿げているのだが、実際の社会生活の中でも、様々なヒエラルキーが存在していて、人間たちは常にこぞって上のランクを目指しているのではないか。お互い張り合い、競り合い、強いものがアルファとなり、弱いものがオメガとなるという単純な公式を、闇の殺し屋稼業に当てはめた概念的な設定と思えば、受け入れやすいのではないだろうか。

また、激しい雨の中で出会ったファム・ファタール、美沙子が気になってしょうがない花田は、以来、米の炊ける匂いを嗅ぎながら雨音と美沙子を妄想し、嫁と房事に耽ける時も嫁の顔にタオルをかぶせ、頭の中では雨音(=美沙子)を想像していたり(嫁が「気違い!」とタオルを剥ぎ取った瞬間、花田は「チェッ」と舌打ちして、雨音はスッと止む)、またはシャワーを流しっぱなしにしたバスタブの中で行為を行なって(しかも嫁とは顔を向き合わない体位)、常に雨の音(=美沙子)を求めている。

米の炊ける匂いに慾情するという設定は、これもまぁ馬鹿馬鹿しいフェチズムだが、生死の境目の緊迫感の中で生きる殺し屋に取って、唯一心が和む生活の匂い、無心になれる手がかりである、というのはそう突飛でもないだろう。この設定は、パロマガス炊飯器とのタイアップ(企業が制作費を一部出す代わりに商品の宣伝をする契約)のために無理やり考えられたこじつけの設定らしいが、慾情とまで行かなくても、炊きたてのお米の匂いが大好きな人は結構いると思うのである。海外生活が長い私にとっても、炊きたてのお米の匂いというのは、やはり格別にノスタルジックで、平和で、癒しである。

(後日追記:前半のストーリーラインは、イギリスのベストセラー推理小説「深夜プラス1」(1965)へのオマージュ、と言えば聞こえはいいが、パロディというか完全なパクりである。殺し屋ランキング、重要人物を護送する、パートナーがアルコール中毒など、小説の設定をあからさまにコピーしていて、勝手に映画化しちゃった!?というレベルの大胆不敵さである。)

———

冒頭は、主人公「花田」のキャラクターを説明し、また殺し屋たちの悲しい宿命を物語る、雄弁な導入部分である。海外ですっかり金を使い果たして来たという、豪快で刹那的な生き方をする花田は、現在殺し屋ランキングナンバー3の座にいるが、友人の「春日」は、花田と同じような生活をしていたが、孤独に耐えられなくなり、お酒に溺れて殺し屋としては落ち目である。そして闇の世界の、ある「お客さん」を護送するだけで五百万円稼げるという仕事。そんな仕事を斡旋する組織のフィクサー「藪原」と、バーで交わされる密約。また、「酒と女は殺し屋の命取りだ」という春日の台詞がすべての伏線となっている。

花田と春日は、さっそく「お客さん」を迎えに行くが、用意された車中には、車を持って来た男が殺されている。前途多難の暗示である。春日は運転をしながら、「俺も去年までランクに入ってたプロだ。幻のナンバーワンか、俺もかつてはその栄光の座を狙っていたんだ」と言う。春日は、殺し屋の栄枯盛衰を体現するサンプルとして登場している。

沖の船から潜水した「お客さん」は、ダイバー姿で埠頭へ上がり、花田と春日に拾われる。しばらくすると追尾の車らしいものを発見、春日は車を急カーブでドリフトさせ、花田が飛び降りて銃を構えるが、その車は大音量で音楽を響かせるヒッピーな若者たちに過ぎなかった。これは花田と春日の取り越し苦労であった、というオチなのだが、このヒッピーたちの車がやたらポップに撮られていてカッコいいので、無駄に注目してしまい、他に意味があったかのように混乱してしまうのである。

しかしその緊張感から、春日はフラスクボトルからウィスキーを飲み始める。花田は春日に「プロだと思ってたんだぜ」と失望を隠さず、運転を代わる。花田はチェックポイントで藪原に連絡を入れるが、その電話を取るのはなんと花田の嫁である。花田は「変だな?」という顔をするが、まさか嫁だとは気づかない。

途中、殺し屋ランキングのナンバー4のコウとその手下たちが狙撃してくるが、酔っ払った春日が身を呈してコウと相撃ちする。コウは優雅に拳銃の先をハンカチで拭き、自分の顔に背広をかけて死んで行くのであった。花田が目を離した隙に、二発の銃声が響く。慌てて「お客さん」の元へもどるが、「お客さん」は平然としており、そばには額の中央を撃ち抜かれた死体が転がっていた。花田はもしやこの「お客さん」こそ「幻のナンバーワン」なのではないか?と勘ぐりながら、護送はまだ続くのである。

今度は行き先に廃墟のような砦、トーチカ跡のような建物が見えてくる。そこには殺し屋ランキングナンバー2の佐倉が待機していた。ここでも花田は華麗に活躍し、佐倉を倒し、自分がナンバー2の座を勝ち取る。その後、花田は無事に「お客さん」を目的地まで護送し、任務完了となるのであった。

その帰路にて、大雨の中で車がエンストするというハプニングに見舞われる。しかし、絶妙のタイミングで美沙子のオープンカーが出現する。このタイミングは、美沙子が組織の命令によって、花田をマークしていたためだろうが、果たしてこの時点で花田は、美沙子が組織の一味であることを、承知していたのかどうか。

ここから先の展開が、段々分からなくなっていくのではないだろうか。

「お客さん」を護送後、花田はフィクサー藪原から(ダイアモンド密輸に関わる)四人の殺害を依頼されるが、三名を殺したところで、一旦なぜか自宅に戻っている。四人目のターゲットについては何も言及されないまま、自宅では、嫁が高級毛皮を購入した件について夫婦喧嘩をする、という呑気なエピソードが挟まれる。

すると玄関先に美沙子が現れ、彼女のオープンカーに置き忘れた花田のライターを届けると、そのついでに「殺して欲しい外人がいる」と申し入れる。彼女は、依頼人は自分であり、バックには誰もいないという。しかし彼女はこの時確かに、例の四人目の殺害ターゲットの情報を伝えにやってきたのである。彼女からの直接の依頼である方が、花田が迅速に行動に移すと組織は考えたのだろうか。二人目を殺した時点で、組織は「早くやってくれないと困る。もたつく理由が分からん」と焦燥を表していた。

しかし、その四人目を狙撃する瞬間、蝶が銃口に止まり、バランスを崩した花田は、誤って無関係の夫人を撃ち殺してしまう。美沙子はバッグから拳銃を取り出し、代わりに四人目のターゲットを撃つが、致命傷にはならず。白昼の狙撃事件はニュースで速報され、花田と美沙子の「二人組」は、警察に追われる身となってしまう。二人は一緒にいるところを見られないよう、距離を取って話をするが、美沙子は、これから花田は、警察からだけではなく、組織の人間にも追われるだろうと警告する。そして「他人を誤って殺したのよ、完全な誤殺だわ。あなたはもうおしまい。さよなら」と言い放ち、去っていく。

打ちひしがれた花田は一旦自宅へ戻り、浴室のシャワーが出しっ放しになっているのを見て、ハッとするのだが、この表情の意味がわからない、というコメントをいくつか見かけた。これは美沙子の「誰かがあなたを殺しにくるのよ。あなたは死ぬのよ」と予言されたことによって、刺客が忍び込んでいることを訝ったか、もしくは嫁の安否を気遣ったか、あるいは嫁の異変を察したか、ではないだろうか。

嫁も殺し屋だったのか、というコメントもあったが、彼女のへっぴり腰の撃ち方、発砲後の取り乱し方を見たところ、組織の人間であることは確かでも、スパイか情報屋あたりに過ぎず、花田に近しい人間として殺害を命じられただけだと思われる。果たして花田は、嫁が組織の一味であることを、承知の上で結婚したのだろうか。それとも、嫁は、冒頭のクラブミカドで組織のフィクサー(藪原)と出会って、関係を持つようになってから組織に引き込まれたのか。

嫁に殺されかけ、燃え上がる自宅から命からがら逃げ出す花田。しばらく彷徨った末に、美沙子と出会うのだが、これも、美沙子が組織の計画を知った上で、花田を助けるために待っていたと考えると辻褄が合う。

花田は美沙子のアパートに転がり込む。美沙子は花田を殺すよう命じられており、花田もそれを知っているため、美沙子を殺すべきなのである。しかし惹かれ合う二人は、愛し合うことにも葛藤し(銃を取り出し)、殺し合うことにも葛藤する(銃を引っ込める)この部分の描写も、とても分かりにくい。愛することも、殺すこともできない花田は悶え苦しみ、何度も美沙子の部屋を去り、そしてまた戻って来る。

三度目に去った後、花田は「やれなかった。俺はダメな殺し屋だ」とうなだれる。ここではイラスト画像の雨、鳥、蝶を象徴的に使って、花田の心情の揺れを表現している。まず雨(エロス=やはり美沙子が愛しい)には恍惚とした表情を浮かべ、鳥や蝶の死のイメージ(タナトス=しかし美沙子は危険だ、許されない相手だ)には嬲られて沈痛な表情を浮かべるのである。花田は半目しあう欲望と恐怖の末、路上で倒れこんで朝を迎える。

しかし、花田の自宅は燃えてしまったので、足は自ずと美沙子のアパートへ、またもや向いてしまうのであった。部屋へ戻ると、なぜか美沙子はおらず、しかしテーブルの上の炊飯器には花田の希望通り、お米が炊かれていた。彼女なりの愛情表現である。しかし、おそらくこの時すでに、美沙子は組織に拉致され拷問されていたと考えられる。

床に落ちていたクラブミカドのコースターを見て、花田はふと例の電話番号にかける。電話をすると、受話器には嫁の声。一度目の電話もそうだったのだと、花田は確信する。嫁は花田を裏切り、とっくに藪原に乗り換えていたのである。

花田が藪原邸に現れると、嫁は嘘泣きをしながら言い訳を並べたり、色仕掛けでごまかそうしたり、どうにか逃げ切ろうとしぶとく試みるが、しかし花田は容赦なく発砲する。嫁が倒れこんだトイレの水に回転している黒い物体は、彼女のヘアピースだと思われる。藪原はナンバーワンの殺し屋に玄関先で暗殺されていた。

この殺人の後、花田は藪原の部屋にあったコニャックに手を出し、どんどん酒に溺れていくのである。冒頭で身を滅ぼした、友人の春日と全く同じように。

そして再度、美沙子のアパートへ戻ると、やはり美沙子は不在であり、代わりにプロジェクターが作動した。スクリーンには、組織に拉致された美沙子が火炎放射で拷問されるという、衝撃的な録画映像が映し出された。美沙子は死んだと絶望する花田に、組織からのメッセージが届き、明日埠頭にて五人の男と決闘するように命じられるのであった。

ここらへんから、また話が一層分かりにくくなって来る。フィルム・ノワールから、シュールリアリズム的なブラック・コメディと変化していく

決闘の場を事前に下見した後、バーで酒を飲む花田に、ナンバーワンの殺し屋から冷やかし(あるいは励まし)の電話がかかって来る。そして決戦では、花田は五人の殺し屋たちを見事に返り討ち、戦略勝ちをおさめるのであった。ふと見上げると米軍の航空母艦が港をゆったりと横切って行く。力強さと勝者の象徴として描かれており、とてもかっこいいカットでもある。

花田が浮かれて歩いていると、突如、姿を現したナンバーワン(「お客さん」)の殺し屋に「お前を殺す」と宣言されてしまう。しかし、以前護送してもらった借りがあるから、その筋を通すため、黙って殺すのではなく、名乗り上げたのだという。そうして親切にも、車で美沙子のアパートまで送り届けてくれるのであった。

さっそく荷物をまとめて逃げ出そうとする花田に、ナンバーワンから電話がかかってくる。「俺から逃げるのか、外は余計危険だ。そこにいた方がいい」と、監視されていることを知らされ、花田は事実上、美沙子のアパート内で軟禁状態となる。さらに何度もナンバーワンから電話がかかってきて、花田は不眠不休に追い詰められていく。アパートを抜け出しても、行き先のレストランにナンバーワンからの電話が入り、監視から逃れることができないのであった。アパートに戻ると、縄で足をくくり上げられるという罠が仕掛けられていて、花田はまんまと嵌ってしまう。罠を仕掛けたはずのナンバーワンがまだ近くにいるかも知れない、ここは危険だと、そっと外を窺う花田だが、そこにナンバーワンが現れる。ナンバーワンは、花田とアパートで同居することにし、二人は寝るのもトイレも一緒に過ごすのであった。ナンバーワンがスーツ着用のまま、用を足すのだけはシュール過ぎて、本当に意味不明で面白くも何ともない。ナンバーワンはなぜここまで花田にまとわりつくのか、まったく説明はないのだが、孤独な殺し屋稼業の二人だからこそ、なのかも知れない

しかしある時、一緒に外食に出かけた際、トイレに立ったナンバーワンは、そのまま忽然と姿を消すのであった。花田があわててナンバーワンを追ってトイレに駆け込むと、水洗トイレに髪の毛のような黒い物体が回っている。そして「ケダモノは、ケダモノのように死ぬんだわ」と嫁の声が聞こえてくる。トイレの水から、嫁を殺した時の死のイメージを連想したのだろう。ナンバーワンがついに自分を殺す時が来たのか、と急に怖気付いた花田は、アパートに一目散に逃げ戻る。そこに、ナンバーワンの置いていった拳銃がまだあるのを確かめて安堵するが、そのピストルの中にメモが挟んであることに気づく。越楽園ホールでの決闘が、宣告されていた。

また、届いた小包にはまたフィルムが入っており、プロジェクターに写すと、美沙子が生きているという映像であった。その時、ラジオからボクシングの試合中継が流れてきて、勝者の言葉「チャンピオンは俺だ」と、アナウンサーが繰り返す。その言葉に暗示にかかったかのように、俺がナンバーワンになってやる!」と俄然、元気を取り戻す花田は、美沙子の生存を確認したことで、生きる望みをつなぐのである。風船の軽やかな浮遊と軽快なジャズが、心の荷の降りた花田の心を表している。

なぜ殺し屋同士の撃ち合いが、ボクシングのリング上なのか、については、ボクサーの一対一の戦い、チャンピオンシップ(ランキング)の希求、その暴力性、野獣性、などの類似性を活かしたメタファーなのだと考える。花田は靴音を響かせないよう、靴下のままじっとナンバーワンが現れるのを待っていたが、約束の時刻を過ぎても敵は現れず、安堵の気持ちでその場を去るのであった。しかし、靴を履き忘れたことをハッと思い出し、元の場所に戻ると、靴が無くなっていた!その瞬間会場の照明が付き、「これがナンバーワンのやり口だ。敵を焦らし、疲れさせ、殺す」というナンバーの声の録音テープが回り出す。双方は相撃ちとなるが、先に命を落とすのはナンバーワンであった。花田も致命傷を負っていたが、束の間「ナンバーワンは俺だ!」と頂点に君臨する感動を噛みしめるのであった。そして、その時、美沙子が現れるが、意識の朦朧とした花田は誤って彼女を撃ち殺してしまう。そしてその後、花田も息絶えるのであった。

———

コントラストが強い白黒映像は、どのカットも一枚の絵画のような完璧な構図で、こだわり抜かれた映像美なのである。

格子越しの映像も多く、白黒のストライプはポップアートのようである。

アングルの面白さ、シンメトリー、直線の美、曲線の妙。

その上、セットの室内に生活感が皆無で感情移入がしにくい。

パロマとのタイアップはわりと話題に上っているが、同じく繰り返し出てくる「ミロ」ガスライターはどうだったのだろう。ネットを検索しても出てこないが、これはオリジナルだったのだろうか。

Save

Save

Save

Save

Save

Save

Save

Save

Save

Save

Save

Save

Save

Save

Save

Save

Save

Save

Save

Save

Save

Save

Save

Save

Save

You may also like

Leave a Reply

Your email address will not be published. Required fields are marked *