日本人の衛生観念について

今や日本人は世界一清潔な民族と認識されている。公衆トイレの清掃は行き届いており、トイレにはウォシュレットが付いていて、自宅のお風呂にとどまらず銭湯や温泉施設も日本各地に多数偏在することからも、日本人の入浴頻度が高いことは明白。また、市街地にもゴミは落ちておらず、路地裏にねずみが這い回ることもない。

映画がフィクションだとは言え、文化や生活様式の記録的価値もあるはずだ。平安時代の貴族、江戸時代の武家、大正・昭和の庶民の描かれ方においても、女中などの廊下掃除や窓拭きの場面は多く、五右衛門風呂に浸かる一コマだったり、桶を片手に風呂屋に向かうシーンも多い。日本人の衛生観念は神道や仏教の「身を清める」概念から発露しているのでは、という説もある。日本人のきれい好きは遺伝子レベルで受け継がれているかのごとくである。

しかし、その清潔神話を覆すおそろしい映画がいくつかある。例えば、新藤兼人監督の「どぶ」(1954)、鈴木清順監督の「肉体の門」(1964)はまだマシな方で、新藤兼人監督の「鬼婆」(1964)、今村昌平監督の「神々の深き欲望」(1968)、黒澤明監督の「どですかでん」(1970)、寺山修司監督の「さらば箱舟」(1982)などは軽くトラウマになりそうなレベルで人間が物理的に汚い。中でも、「どですかでん」では目を疑うほどの不衛生さが、強烈なカラー映像のせいで一層強調されていて、またそれが貧困と薄幸とが相まってホラーのようである。

虚構の世界の設定として、誇張して脚色されているだけだと信じたいが、これだけ多くの映画で、汗と垢と土にまみれた日本人の姿を見ると、さすがに「昔から日本人は清潔」という神話も徐々に崩れていく。確かに、高度経済成長期の頃まで日本中の道路はアスファルトで舗装されていない。土の道を下駄や草履で歩くとどうなるか。庭先で足を洗ってから家に上がる習慣があったようだが、少しくらいの汚れは気に留めなかったかも知れない。映画の中で、板張りの床を拭き掃除するカットが多いのは、毎日びっくりするほど床が汚れるから、という実用的な必要性からではなかったか。。。と、今更気づいて若干焦っている。

前記の作品は主に貧困にあえぐ下層階級の人々の話だ。清潔な生活など贅沢以外の何ものでもなかったのかも知れない。戦後経済成長を経て、道路や水道のインフラ整備が行き届き、国民全体の教育水準・知的水準も上がった。しかし、今や過剰に衛生管理や消毒にこだわるために、神経症や免疫低下などの病気を引き起こす原因となっているというのは皮肉なことである。

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